2008年10月12日(日)
蛙岩? [気まぐれ通信]
こんにちは。石材部の石元正喜です。
朝夕がめっきり涼しくなり(私の住んでいる北区の北部はとっくに寒いですが!(T T))
秋を感じる季節になりましたね。
ただこの秋を感じる期間も年々短くなり夏から冬へと一気に変わる感じがとてもさびしいです。
馬肥ゆる秋と言いますがこんなに短いと馬も肥ゆる時間が無いのでは?
しかし私はきちんと肥ゆる・・・メタボ なぜ???
ところで話が変わりますが、先日ボーと神戸市のホームページ(保健福祉局墓園管理センター)を眺めてましたら、鵯越墓園の蛙岩と言う奇岩の事が書かれていました。
私も長年、鵯越墓地の中ではあっちへ行ったりこっちへ来たりしていますので知らない事は殆んど無いように思っていましたので驚きです。
この墓園のあたりから源義経が一の谷へ攻め入ったと伝えられており、この岩は義経が鵯越に来た際に立ったという歴史に残る岩のようです。
そこでたまたまですが、仕事でこの岩があると言う新芝生地区へ行った際に見てきました!
はっきり言ってわかりません。どこから見るのが蛙なのか?犬好きの私には見ようによっては犬にも見えます。
恐らくこれの事かなと言うのが写真です。(間違っていたらごめんなさい。)
ただ今まで知らなかった歴史上の一ページとなった場所に立ってみるとなんだか時間を越えて当時の源義経もこんな感じで立ってたのかなとすごく身近に感じました。
まるでHEROES(シーズン2)の剣聖武蔵(けんせいたけぞう)とヒロのような感じですかね。(見ていない方には何の事やらですね)
是非、皆さんも鵯越墓園に行かれた際には探してみて下さい。新芝生地区の駐車場のところが入り口ですからすぐわかると思います。写真のような看板があります。(注 芝生地区ではなく新芝生地区ですよ)
また歴史好きの方には蛙岩から北に道路を進むと
高尾地蔵院境内がありここには源平合戦のときに、
義経が鵯越進軍の途中ここで休憩し、境内の松に
馬をつないだと言われる『義経 馬つなぎの松跡』
があります。
今は枯れてしまって根の部分しか残っていませんが、
「義経馬つなぎ之松」の案内板が建っています。
興味のある方はどうぞ行ってみて下さい。
上記写真2枚は保健福祉局墓園管理センターのホームページ市立墓園の沿革より引用いたしました。
Posted at 13時00分
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